2007年03月11日
良さん(父)の話 2.
昭和初期、江差はニシンが沢山捕れ、町は相当活気があったそうである。
私の祖父は船頭であったから家を空けることが多く、
父はもっぱら、地主である祖父(私の曽祖父)に可愛がられていた。
同時に少し面倒な用事をさせられることがあった。
地主は、小作に米を作ってもらって何ぼのものだから、
金、というより、米の用立てなども行っていたらしい。
貸したものは、いずれ返してもらわなければならぬ。
そういう時、まだ子供の父を使いに出したそうである。
「こんばんわ、サクエンドウ(佐藤家の俗称)の良ですが、、」
「良ちゃんかい、まあ上がんなさい」
そこまではよいのだが、爺さんに言われた米の事がなかなか言い出せない。
飯までご馳走になったひにゃあ、切り出すどころか、
口にはハッカーでも開けられぬ頑丈な鍵がかかり、
ただただ、うつむくばかりであったそうだ。
父は今でも大変辛かったと言う。
私の祖父は船頭であったから家を空けることが多く、
父はもっぱら、地主である祖父(私の曽祖父)に可愛がられていた。
同時に少し面倒な用事をさせられることがあった。
地主は、小作に米を作ってもらって何ぼのものだから、
金、というより、米の用立てなども行っていたらしい。
貸したものは、いずれ返してもらわなければならぬ。
そういう時、まだ子供の父を使いに出したそうである。
「こんばんわ、サクエンドウ(佐藤家の俗称)の良ですが、、」
「良ちゃんかい、まあ上がんなさい」
そこまではよいのだが、爺さんに言われた米の事がなかなか言い出せない。
飯までご馳走になったひにゃあ、切り出すどころか、
口にはハッカーでも開けられぬ頑丈な鍵がかかり、
ただただ、うつむくばかりであったそうだ。
父は今でも大変辛かったと言う。
Posted by あきひろ佐藤 at 14:56│Comments(0)
│父の話
※会員のみコメントを受け付けております、ログインが必要です。