良さん(父)の話 6.軍属になる。

あきひろ佐藤

2007年04月08日 10:41

良さんが尋常高等小学校(今でいう中学)を卒業した昭和十年ころ、
日本は中国との間で宣戦布告もない「事変」と呼ばれる戦いを
行っていた。

良さんは、桧山郡上ノ国町の中外鉱山で事務の仕事につくが、
半年でやめ、大日本帝国陸軍の軍属として、当事の中華民国、
華南省東部の開封という街へ行くこととなった。
(北京と上海を結ぶ線の中間くらい)
国家総動員法が施行されたころである。
祖父が経済的に破綻したのだから、実家に金を少しでも多く
入れたかったのと同時に、軍族になれば自分の食い扶持は軍隊が
持ってくれる事が決め手だったようである。

軍属は兵卒ではない。
軍隊には兵士の他、物資の調達、補給、整備、調理、医療関係、
被服、散髪など、戦闘には直接関係ない任務でも、
総力として臨まなければならい共同体としての一面があり、
決して軽んじてはならない。
第二次大戦で、戦線を拡大したものの、補給が脆弱だったことが、
敗因の一つである事は論を待たない。

開封は歴史の古い街で、今でこそ鄭洲の方が有名だが、北宋時代の首都であった。
東京開封府と称されたこともあるらしい。
1000年も前に作られた鉄塔が今も残り、黄河の氾濫によって埋没した古代の都市が、
今もそのたたずまいを地下に残しているそうだ。
また当事は比較的治安もよかったらしい。

良さんはその開封まで、江差から函館、青函連絡船で青森を経て上野から福岡まで
国鉄で行き、海路釜山へ渡りソウルを経て、何日ががりかで行った。
大変な旅だったと言う。

父は軍属として経理(主計)の仕事を2年ほど勤め、実家へ仕送り続けていた。
ところが肋膜を患い1年間、軍の病院で療養を余儀なくされる。
病院でただ寝ているだけの間、さぞ忸怩たる思いであったろう。
15そこその若者が戦闘要員では無いにせよ、覚悟をもって戦争をやっている
異国の地へ来たはずなのに。

何年か前、どこか旅行に行かないか?という私の問いに、
「行くなら、開封だ」と言った良さんの言葉が重かった。
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