感情との折り合い
飛行機に乗って赤ちゃんが泣く声を耳にすることがある。
気圧の変化で、耳抜きも侭ならないから「不愉快だ~」って言っているのだ。
私はそんな赤ちゃんの泣き声、全く気にならない。
それより、その母親の気持ちを考えると、さぞ肩身の狭い思いをされているのでは?
と心配になる。
腹が減ったといっては泣き、うんち君が出たと言っては泣き、眠いといっては泣き、
泣くことが商売のような赤ちゃんにとって、泣くな、と言うのは理不尽な要求だし、
全く泣かない赤ちゃんは、重篤な病というものだろう。
私はそんな赤ちゃんが時々羨ましく思う事がある。
泣きたい時に無き、怒ったときに怒る。
人の目など気にせずにである。
先日つまらぬ事、いや、失礼な言動に腹を立て、
怒りをあらわにしてしまった。
アルコールも入っていたが、こともあろうに先輩に対してである。
泉谷しげる氏の言葉を借りると、「怒りに先輩も後輩もあるか!!??」
という訳なのだが、我ながら大人げ無いと、思いつつ、陰口は陰で言って何ぼのもの。
それが最低の礼儀であろうし、聞こえるように言われてはケンカを吹っかけられたに等しいし。
建設的意見とは到底思えない。
もちろん、場はドっ白け。
悪い酒が進む。
喜怒哀楽の感情などは、沸いてくるな!といっても止まるものではない。
バルカン人では無いのだから、強力な理性で全てを押さえつけることなど到底不可能である。
何よりそんな奴は人間臭く無いし、個性もヘッタクレも無いではないか?
問題なのは、どのくらい、行動や言動にブレンドするか?
ここ10年以上、どんなにまずい状況下でも、静かに微笑んでられるようにするには、
どうしたら良いのだろうと、感情との折り合いをさぐっている。
ただ悪い酒がたたり、山手線に財布の入ったポーチを忘れ、
盗難にあったと思い込み、110番成らぬ119番に電話をかけ、
とんだ喪失感を味わうはめになった私は、救いようのない大バカ野郎である。
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