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2009年09月06日

中西慧子先生と

衆院選の翌日、私は羽田発旭川帰りの始発便に乗った。

赤い尾翼の飛行機である。

その日、私は随分とご無沙汰していた恩師、中西慧子先生と会う約束をしていた。
20年ほど前先生が執筆された本「花束」のタイトルを「涙の政宗」に改め、再版されたお祝いである。

旭川グランドホテル、シャンドール12時。


このレストランは父母の金婚ディナーを祝った場所であるとともに、
旭川を離れる時最後に宿泊した思い出の場所である。

先生とは40年程の縁を頂戴しているが、まずはグラスシャンパンで乾杯、
シェフおまかせのオードブル、絶品なるパンにチーズ、
ワインはサヴィニーレボーヌ、レ・ブルジョ、2002年を頂戴した。

まさに今が飲み頃。色はレンガ色に枯れかけ、喉ごしはシルキー、
実になめらかである。ブランボワーズ、ベリー系の香りが実によい。
ミディアムだと思うけれど、3時間じっくり付き合ってくれる。

20年前に執筆された本の内容は、永き時を経ても色あせることは無く、
たとえ携帯やパソコンが普及しようとも変わらない普遍的なものである。

それは先生が生徒と共有した時間の中で、先生自身の成長をも綴られたものでもあろう。
だが本が語りかけてくる一番のポイントは、先生が生徒と向き合う時、
子供であるとか生徒である以前に、未熟ではあるけれども成長していない「個」としての
「人」に正面から向き合っているところである。

私にとってその本は、グランバンが20年、30年の時を経て成熟されたような、
珠玉のエッセイだと思う。


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Posted by あきひろ佐藤 at 00:08│Comments(2)帰省
この記事へのコメント
> 20年前に執筆された本の内容は、永き時を経ても色あせることは無く、
> たとえ携帯やパソコンが普及しようとも変わらない普遍的なものである。


さて、ここで問題です。
物事は果たして本当に、永い時を経ても普遍的でありつづけるものでしょうか。
たとえ、それが自筆で書き上げられ、纏められたものであったとしても、
その文章の前提に、不実が含まれていないと言いきることはできないものです。

教師と生徒は多くの時間を共有して生活することになるが、けして友達にはなれません。
生徒が教師と向き合うとき、本当に正面から向き合っていると誰がいえましょう。
自分だけは違う、私は本音で向き合っていたという者もいるかもしれません。
だが殆どにおいては教師側の自己満足であり、もしくは生徒側の欺瞞なのです。

私が小学生の最後の年を迎えたのは、約20年近くも前になるでしょうか。
いつまでも子供ではなく、たとえ精神が未熟であったとしても、
常識的な、教師受けのする子供らしい文章を書くことを身に付け始めたころでした。
それは私の望む文や感想とはかけはなれていたけれど、
少なくとも読書量の多い私には、本音以外の文を書くこともできたのです。
今にして思えば、それは彼女の理想のかたちであったことでしょう。
既成の枠からはずれてすぎた文章は、彼女にとって正しいものではなかったのです。

人が人であるかぎり、相容れない性格の相手は存在することでしょう。
年数がたち、彼女(中西慧子)も、成長しているに違いありません。
ですが、当時はまだ、生徒に対して己の好悪を上手に隠すことのできない人でした。

子供というのは存外、大人が自分に向ける好悪に気づきやすいものです。
数人の生徒が、「僕/私は先生に好かれている」と自覚して自負していたように、
私は、けして好かれていないことを感じ取っていました。
ふとした瞬間のおざなりな態度、そらされる視線、他の生徒との温度差。

本人が気づかぬうちに行われるそれらは、私が彼女を「失望の対象」として見るのに、
さして時間のかかることでも、難しいことでもなかったのです。
好かれていると自覚している子供たちが、その自負を自慢として振りかざすように。

しかし、彼女の生徒である限り、彼女の機嫌を損ねるのは懸命とはいえません。
本音を心の底へ沈めこみ、教師好みの会話を選ぶことをこそ成長と言うのであれば、
子供はたしかに、教師とのまじわりで成長していくものなのでしょう。
かつての私が、そして名も無き私たちが彼女に対して、そうするしかなかったように。


―― そう。
あなたが 『珠玉』と称されたエッセイは、成熟した美しいものであることでしょう。
私に目を通す機会はないでしょうが、おそらくは美しいに違いありません。
ええ、過去はいずれ美化されてゆくものですから。

ですが、その連綿と続く文章の連なりの合間、文字にならない行間には、
忘れられた生徒たちの、声にしなかった、できたかった思いが隠れているのです。

『成熟された珠玉のエッセイ』だと述べられたあたなに、この言葉を送ります。


  あなたが 『珠玉』 と銘打った、あざやかな言葉のつらなり。
  その言葉の裏にある遠い日の悲嘆を、あなたは聞き取れることができますか?
Posted by 匿名@元生徒 at 2009年09月15日 22:34
匿名さま ご来場ありがとうございます。

先生は聖人ではありません。
どちらかと言うと俗人、そこがまたいいんですよ。
なので、全ての生徒を完璧に見る事は不可能ですし、人気のある分、このようなコメントあるかもと思っておりました。

私は先生の初めての教え子になります。
本のな中では、まとまりの無いクラス、で一括!!!!、
そのあと受け持たれたクラスでの出来事、20年前に読み、
何と羨ましいことか、、、お泊り会や、政宗像のこと、給食での事件、悲しいけれど教え子の死、琴やお家や車の事、教育に関することも書かれていますが、人としての先生の事、考え方など、多岐にわたっています。

私が述べたかったのは、先生が子供と向かうときの姿勢であり、
子供の欺瞞など述べてはいませんよ。

先生は私をある意味でしっかり見つめてくれた、そう思ったものです。
そして20年前に読んだ内容で、感銘を受けたものが、未だに私の中で色あせていない、それを珠玉と言ったまでです。

私は、作文が出来ませんでした。
要は言いたいことも無いのに書ける訳が無い、嘘はきらいだったのです。
ただ一回、社会見学の感想のお手紙だけ褒めてもらいました。
お礼を言いたかったからです。
ですので、先日お会いした時も、読書感想文コンクールって何よて、私が言った時、先生は、ほとんど粗筋と感想、粗筋と感想の羅列、って皮肉ってました。

あたながどのように先生と係わったか分かりませんが、
PCで先生とか政宗を検索してここへたどり着いたのでしょうから、
先生が好きなのでしょう?
嫌いな先生からシカとされても何でもないですからね。

しかし同じ先生の教え子として、本も読まずにその内容や執筆者を中傷するのは恥ずべき事ではないですか?

貴方への宿題です。すぐ富貴堂へ行って本を買い、20年後に感想文を先生に提出すること。いいですね。

ああ、それから思い出は美化される、そう思います。但しその分確実に歳をとるという代償をはらう。そうでなければ悪い事ばかりの人生、もしそうであっても、辛い毎日だから時間が経つのがどんどん早くなる、問題はその事柄への向き合い方、大切にするか、粗末にするか。
Posted by あきひろ佐藤 at 2009年09月16日 17:56
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