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2007年04月15日

良さん(父)の話し7.徴兵検査

良さん(父)の話し7.徴兵検査肋膜を患った良さんは、開封の陸軍病院で1年ほど療養し回復した。時同じく、所属する師団が開封から南方への機動を銘じられ、それと供に良さんの軍属は本国へ帰還する事になった。

南方とは、何処をさすのか、良さんは詳しくは覚えていないが、ニューギニアであると言っている。もし、そこへ行っていたら、私は生まれていないかもしれない。

江差へ戻った良さんは、事務の仕事をして生計を助けていた。20歳を目前にして、徴兵検査を受け甲種合格となったそうである。父は身長165cm体重70kgはあったというから、特別な病気でもない限り逃れられない。

検査は、性病、痔に重きをおいた目視、触診で行う屈辱的なものだ。良さんは、その事には触れないけれど、中学の恩師から聞きかされていて私は知っている。

そして19歳で少年兵とし、第5師団帯広へと赴く。
大日本帝国陸軍二等兵の良さんである。


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Posted by あきひろ佐藤 at 21:36│Comments(4)父の話
この記事へのコメント
あ 様

 ご父君はいったんご帰還後に、内地で入隊されたのですね。
 戦争では、ほんのちょっとした分岐点で大きく運命の舵を切られますね。
 私の父が入隊したのが14歳で、戦争が終わったとき17だったそうですから、ご父君は父よりも少し先輩ということになりましょうか。
 父や母からは、ずいぶんといろいろな話を聞きました。聞けた、というべきでしょうか。いずれ私も、父や母のことを、というより父や母から聞いた話を、なんらかのかたちで書くことになると思います。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年04月15日 22:54
佐藤さまへ

このイラストは?
佐藤さん、いよいよ画壇デビューですね?
戦争はいやですね。
平和ボケも困りますが、やはり戦争は・・・いけません。
Posted by Yume at 2007年04月16日 11:17
冬野 様

父も自分史を書きたいようなのですが、
完璧でないと嫌な性分みたいで、自分に文才があれば、、、
とよく言っています。

私にあるかどうかは別にして、実家の電話する良い口実にして、
あやふやなところを聞いています。
どうぞ、冬野さんのご両親のこと、お書きになって下さい。
Posted by at 2007年04月17日 05:55
Yume 様

いやあ、お恥ずかしい、、、、

じゃら様、毎日よく書けるものです。
初めてトライしてみたのですが、難しかったです。

戦争、、
世界からなくなって欲しいと、願っています。
Posted by at 2007年04月17日 05:59
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