2007年03月04日
良さん(父)の話 1.
父の名前は、良○。
○の中にはある漢字が入る。
大正の終わり、江差の五勝手に生まれた。
私の祖父は、漁師、曽祖父は、地主というまれに見る裕福な家庭であった。
父は、7人兄弟の次男。上に兄、姉、下に弟2人、妹2人。
11月20日を誕生日としているが、その年は豊作、豊漁で
人手が足りず、届けがすぐに出せなかったらしく、
実際は10日位早く生まれたらしい。
子供のころの写真はほとんど残っていないが、
毎日おかずにイカばかり食べさせられ、海を遊び場にした真っ黒な小僧だった。
ちなみに虫歯は1本もなかったが、極度の偏平足であった。
祖父(父の父)は、馬力は少ないけれど、見栄えの良い船と、番屋を持っていた。
曽祖父は、そのあたりの土地で米やら芋などを小作に作らせていた。
倉がある資産家だった。
なので父は子供のころ(ある事件が起こるまで)
洋服は既製品を着たことが無く、全てオーダーメイドであった。
父は結構わんぱくでもあったらしく、よく番屋へ出入りしては、
漁師たちにかわいがってもらった。
もしかしたら、酒の味はその時知ったのかも知れない。
成績も素行以外、すべて甲だったらしい。
しかし、素行が乙なもので、優等生にはなれなかった。
それを聞いた近所の爺さん、男の子が素行悪くて、優等生になれないとは
何事か??言って、学校へ怒鳴り込んだそうである。
男の子は、多少元気があった方が良い、との思いであろう。
少し自慢げに語ってくれるエピソードだ。
近衛兵になるのを、純粋に夢見ていたそうである。
今、父の親しい人は、りょうさん、とか、りょうちゃん、とか呼んでいるが、
私には少しばかり羨ましい。
○の中にはある漢字が入る。
大正の終わり、江差の五勝手に生まれた。
私の祖父は、漁師、曽祖父は、地主というまれに見る裕福な家庭であった。
父は、7人兄弟の次男。上に兄、姉、下に弟2人、妹2人。
11月20日を誕生日としているが、その年は豊作、豊漁で
人手が足りず、届けがすぐに出せなかったらしく、
実際は10日位早く生まれたらしい。
子供のころの写真はほとんど残っていないが、
毎日おかずにイカばかり食べさせられ、海を遊び場にした真っ黒な小僧だった。
ちなみに虫歯は1本もなかったが、極度の偏平足であった。
祖父(父の父)は、馬力は少ないけれど、見栄えの良い船と、番屋を持っていた。
曽祖父は、そのあたりの土地で米やら芋などを小作に作らせていた。
倉がある資産家だった。
なので父は子供のころ(ある事件が起こるまで)
洋服は既製品を着たことが無く、全てオーダーメイドであった。
父は結構わんぱくでもあったらしく、よく番屋へ出入りしては、
漁師たちにかわいがってもらった。
もしかしたら、酒の味はその時知ったのかも知れない。
成績も素行以外、すべて甲だったらしい。
しかし、素行が乙なもので、優等生にはなれなかった。
それを聞いた近所の爺さん、男の子が素行悪くて、優等生になれないとは
何事か??言って、学校へ怒鳴り込んだそうである。
男の子は、多少元気があった方が良い、との思いであろう。
少し自慢げに語ってくれるエピソードだ。
近衛兵になるのを、純粋に夢見ていたそうである。
今、父の親しい人は、りょうさん、とか、りょうちゃん、とか呼んでいるが、
私には少しばかり羨ましい。
Posted by あきひろ佐藤 at 11:16│Comments(0)
│父の話
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