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2007年04月01日

良さん(父)の話 5.座礁

昭和の始めの頃、尋常小学校と尋常高等小学校が義務教育であった。
小学校は6年、高等小学校は2年であり、万14歳で義務教育は終わる。
良さんの成績は、悪くもなかったし、近衛兵になる夢もあったから、
良さんの兄や姉やと同じように、進学を希望していた。
しかしある事件のため、諦める事を強いられた。

祖父の船が座礁し、何人かの漁師が命を落としてしまったのである。

当然、祖父や曽祖父は、遺族への保証や何やらで、
実家を除く田畑を売り払う事となる。
それまでの地主を祖父に、船頭を父にもつ良さんにとっては、
かまどがひっくり返った様な、降って来た災難であった。

タクシーで昼間っからカフェーへ行ったのとは真逆の生活である。
かわいそうなのは、女学校へ進学していた父の姉だった。
学校を辞めさせられたのだ。
父も食い扶持を捻出すべく、卒業してすぐ上の国の中外鉱山で働く。
鉱夫としてでは無く、事務の仕事だったそうだ。

良さんは、まだ少年だったから、船がどの辺で座礁したのか?
何人亡くなったかは、聞かされていない。
経済的に苦しいのは分かったけれど、祖父たちはそれ以上の心配をかけたく
なかったのだ、と言う。

私が中高生のとき、おまえは勉強しろ、しろって怒られるが、お父さんは、
勉強したくても出来なかったんだぞ、、、って
酔って帰ってきては必ず言われた。

私には返す言葉も無かった。

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Posted by あきひろ佐藤 at 12:03│Comments(3)父の話
この記事へのコメント
佐藤さまへ

父も苦学しています。
私が子供の頃、ノートや定規など古いのを使わず新しいものを
買って使っていたらよく叱られました。
「全部使い切ってから、新しいのを買いなさい」とよく言われたものです。
優しい父でしたが、こういうところは特に厳しかったように思います。
Posted by Yume at 2007年04月01日 13:26
佐藤様

 ご父君のお話を読むたびに、我が家のことを思ったりします。
 これまで、母方の祖父(かの豪快な高等遊民)の家のことをよく書いてきましたが、父の家は零落してものすごく貧しかったそうです。
 もともと九州の中堅藩士の家で旧家だったらしいのですが、祖父の代に立て続けに家を傾けることが起きて(新しい屋敷を棟上した翌週に台風で全部吹っ飛んだ、とか)、戦争がはじまると三男坊だった父は、口減らしのために「疎開」という名目で家を出されてしまいました。
 貧しい苦学生だった父と、比較的裕福だった家に育った母の生活感覚の違いは、未だに大きなものがあります。

「勉強したくても・・・・・」
は、我が家でも、父が私をたしなめるとき必ず口にした言葉でした。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年04月01日 19:59
Yume 様 冬野 様
ご来場有り難うございます。

Yume 様

うちの父も同じでした。
鉛筆にサック買ってきて、1cm位まで削らされました。
食べ物、お米とか、こぼしても、お百姓さんが、泥に足を入れて
田植えした大事なものだから、食べなさい!!って、
昔、3秒ルールとかありませんでした????

冬野 様
やはり私の父とかさなる所多いみたいですね。
お爺様、台風だの、戦争だの、それは翻弄されたのですね。

うちの母、農家の娘で、子供のころお腹すかしてた、
といってましたから、父より貧しかったかもしれません。
タイプは父の何でもできる天才派と、
努力型の母で、正反対です。

私の父はその半年後、軍属に入り、中国の開封というところへ
行きます。もちろん口減らしと仕送りのためです。
勉強で一番コンプレックスだったのは、英語だったみたいです。
Posted by at 2007年04月02日 00:19
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