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2007年04月22日

良さんの話 8.重機関銃

良さん(父)は、走るのが速かったわけでは無いが、俵をかついで50メートル
走れば一等を取れると豪語していたことがある。
そうとう馬力があったのだろう。

第五師団帯広へ赴くと、重機関銃を扱う事なった。
三脚に銃身を取り付けた、多分92式重機関銃だったと思われる。

父は銃手を命ぜられたと言っているが、いかに当事の陸軍が疲弊していたとはいえ、
いきなり少年兵に銃手を任せるとはとても思えない。

8人くらいの編成だったそうだが、半分は弾薬の補給にあて、
あとの半分で、弾の装てんなどを行ったそうだ。
白兵戦において歩兵を援護するのみならず、最前列から的を攻撃することも重要な任務で
あったから、三脚、銃身セットで50キロ以上はあろう92式を、運ぶには体格の良い父は,
適任であったのかもしれない。
また弾の補給に馬が使われていたと言うから、何だかなあ、笑ったらおこられるかなあ?

光学式の照準で、1キロはなれたところまで目視できた、と言うから
良さんは銃手を勤めたのは、間違いではないようだ。

良さんは、人に向けて弾を撃つ事を考えただけでも嫌で嫌でたまらなかったそうである。
そして、一番最初に敵から狙われるのも自分であることも知っていた。
しかし、そのような個人の思いなどどうにもならないのが軍隊。
嫌でもやらなければ自分が殺される、そう思う意外に落としどころはなかったようである。

しかし良さんは、銃手をやらなくて済む、絶好の機会を得ることになる。


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Posted by あきひろ佐藤 at 09:28│Comments(2)父の話
この記事へのコメント
あ 様

 私の父は14で入隊し、半年後には実弾射撃訓練を受けたそうです。
 終戦の年、16歳だった父は「特別幹部候補生 兵長」という下士官になっていました。
 特別幹部候補生とは、死ねば士官になる下士官、つまり特攻隊志願者のことです。
 兵長は、新設された階級で「少年を伍長や軍曹(非キャリアとしては最高位ですから)に抜擢するのは抵抗があるが、上官として責任を持たせたい」というニーズから考案されたものだと思われます。
 部隊の目的地や作戦計画によっては、十代半ばでも銃機関銃の銃手に選ばれることはありえたでしょうね。ご父君や父のような少年兵がたくさん居て、その中には「みどころのある」少年も居たのでしょう。
 ちなみに、父の配属された特攻隊とは、爆雷を積んだベニア製の筏で敵船に突っ込むというものでした。

冬野
Posted by 冬野由記 at 2007年04月22日 11:48
冬野 様

コメントありがとうございます。

なるほど、特別幹部候補生、、、、
死ねば士官、インセンティブをもたせた?
軍もいろいろと知恵を絞ったのですね。

父に階級を聞いたのですが、只の二等兵だよ、って。

軍の中で上の位を望もうとか、そんな事は考えていなかったみたいです。
天皇陛下を神様だ、なんて思ってもなかったそうですし、
とにかく兵役を生きて無事務めることだけを考えていたそうです。

昨年、ある事で高校の同窓生(防衛省勤務)と一緒に事を運んだのですが、
そ奴が名古屋へ転勤になり、靖国の憂愁館へ行って死んでいった
若者の手紙を読めと、言われています。
彼はどちらかというと左の傾向から、自衛隊へ入った者なのですが、
黄金週間にでも訪れようと思っています。
Posted by at 2007年04月23日 10:53
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