2007年06月24日
良さんの話 12.戦後の札幌
終戦を釧路で迎えた良さん(父)の部隊は、
一度帯広へ帰ることとなった。
そのままサハリン行きの船に乗っていたら、暫くは日本へ
帰ってこれなかったかもしれないし、命を落としてしまったかも
知れない。
良さんの人生で、もっとも大きな節目であった。
ほどなく良さんの中隊は、札幌の月寒(つきさっぷ)へ移動した。
歩兵第25連隊のあったところである。
良さんは鉄砲かつぎではなく(良さんの弁)衛生兵であったから、
野戦病院へ移った。
そこで軍は解散となったそうである。
一部の兵士は、臨時の憲兵となり、治安維持にあたったらしい。
札幌の街は、良さんの見た限り、ごく平穏であったそうである。
良さんはその任には就かず、国鉄で郷里の江差、五勝手へ帰った。
良さんは終戦ではなく敗戦だ言う。
終戦などという生やさしいものではなく、惨めな、ただ惨めな
ものだったそうである。
一度帯広へ帰ることとなった。
そのままサハリン行きの船に乗っていたら、暫くは日本へ
帰ってこれなかったかもしれないし、命を落としてしまったかも
知れない。
良さんの人生で、もっとも大きな節目であった。
ほどなく良さんの中隊は、札幌の月寒(つきさっぷ)へ移動した。
歩兵第25連隊のあったところである。
良さんは鉄砲かつぎではなく(良さんの弁)衛生兵であったから、
野戦病院へ移った。
そこで軍は解散となったそうである。
一部の兵士は、臨時の憲兵となり、治安維持にあたったらしい。
札幌の街は、良さんの見た限り、ごく平穏であったそうである。
良さんはその任には就かず、国鉄で郷里の江差、五勝手へ帰った。
良さんは終戦ではなく敗戦だ言う。
終戦などという生やさしいものではなく、惨めな、ただ惨めな
ものだったそうである。
Posted by あきひろ佐藤 at 09:09│Comments(2)
│父の話
この記事へのコメント
あきひろ 佐藤 様
良さんのおっしゃる通り、敗戦です。私も、頑なに、この言葉を、今でも、使っています。
所で、ほぼ半世紀前、私も、半年ばかり江差に居を移したことがあります。
姥神神社・横山家・五勝手屋羊羹など、懐かしく思い出されます。
2ヶ月位は、当時の江差駅前の鉄口旅館に宿泊し、残り期間は新栄町の下宿を利用させてもらいました。
お父さんによろしく。
おきな草 から
良さんのおっしゃる通り、敗戦です。私も、頑なに、この言葉を、今でも、使っています。
所で、ほぼ半世紀前、私も、半年ばかり江差に居を移したことがあります。
姥神神社・横山家・五勝手屋羊羹など、懐かしく思い出されます。
2ヶ月位は、当時の江差駅前の鉄口旅館に宿泊し、残り期間は新栄町の下宿を利用させてもらいました。
お父さんによろしく。
おきな草 から
Posted by おきな草 at 2007年06月24日 10:42
おきな草 様
ご来場ありがとうございます。
やはり、「敗戦」ですか。
「終戦」など、戦争を知らない世代の言葉なのでしょう。
懐かしいですね、姥神神社、横山家は存じませんが、
五勝手羊羹に、栄町、、、
お祭りはほんとうに気合の入ったもので、、、、、
父は無事退院し、家が落ち着くと言っておりました。
おきな草 様の事、必ず伝えます。
ご来場ありがとうございます。
やはり、「敗戦」ですか。
「終戦」など、戦争を知らない世代の言葉なのでしょう。
懐かしいですね、姥神神社、横山家は存じませんが、
五勝手羊羹に、栄町、、、
お祭りはほんとうに気合の入ったもので、、、、、
父は無事退院し、家が落ち着くと言っておりました。
おきな草 様の事、必ず伝えます。
Posted by あきひろ at 2007年06月25日 23:17
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